エトヘムの朝は、ひとりひとりにそっと寄り添ってくれる。
ホテルというより〈家〉のようなこの場所では、「どこで朝食を食べるか」も自由だ。
テラスでも、サンルームでも、リビングでも、キッチンでも。
“どこでも、あなたの好きなところで”——そんな静かなメッセージが空気の中に溶け込んでいる。
私がいつも選ぶのは、ガラス越しにやわらかい光が満ちるサンルーム。
朝のストックホルムは、淡い。輪郭が曖昧な光が、木漏れ日となってテーブルの上のプレートにそっと触れてくる。
そこで深呼吸をすると、旅の途中とは思えないくらい、自分の生活に戻ってきたような安堵がある。
席についても、注文をする必要はない。
メニューをめくることも、スタッフを呼ぶ必要もない。
何かを決めなくても、朝は自然と整っていく。


もぎたて野菜のサラダ、焼き立てのパンとバター、新鮮な卵料理、ハム&チーズ、苺ヨーグルト。
それらが、ちょうどいいタイミングでテーブルに置かれていく。
決して豪華なわけではない。
けれども、必要なものだけが、必要な順番で届く。

まるで「あなたは何も選ぶ必要はないのよ」とでも言うように。
ブッフェのように何十種類も並んでいるわけではないし、豪華な演出があるわけでもない。
けれど、エトヘムでは“選択肢の少なさ”がむしろ贅沢に感じられる。
迷わなくていい。
考えなくていい。
ただ、いま目の前にある朝を受け取るだけでいい。
これは料理ではなく、“朝の過ごし方そのもの”の提案なのだと思う。
ほかのゲストもそれぞれ好きな場所で朝を迎えている。
リビングのソファでのんびり寛ぐカップル。
キッチンでスタッフと軽く会話を交わす老紳士。
テラスでスマホをいじりながらコーヒーを飲む女子。
エトヘムは誰のペースも壊さない。

サンルームの窓に光が落ち、ほんのり温められたテーブルに手を置くと、
「ああ、今日もここから一日が始まるんだ」と思える。
エトヘムの朝食は、単に“食べる”時間ではなく、心のリズムが自然に整っていく穏やかな儀式だ。
好きな場所で、なにも選ばずに迎える朝。
そんな当たり前のようでとびきり贅沢なひとときを、エトヘムはさり気なく用意してくれるのだ。



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