旅のスポット#21|ミマール・シナンのモスクたち|イスタンブールたらしめる建築

SINGLEMAN’S HOTEL LIFEへようこそ。 ホテルを起点に世界を旅し、その土地で出会った景色や建築、食や文化──そんな旅の破片を綴っている。

今回は、建築家ミマール・シナンがイスタンブールに作ったモスクを巡る。これらは今から500年以上前に造られたものだが、今もなお、イスタンブールの風景そのものだ。イスタンブールに訪れる目的だったと言ってもいい場所だ。

それでは、行ってきます。

目次

旅の情景

※トルコ語ではモスクを「cami(ジャーミー)」と呼ぶが、本記事では、日本語での一般的な表記に合わせ「モスク」で統一している。

イスタンブールを歩いていると、街のいたるところでモスクのドームとミナレットが視界に入る。それらがつくる風景はあまりにもこの街に馴染んでいて、ひとつひとつの建築を意識しなくても、「イスタンブールらしい景色」として目に入ってくる。

そしてその風景をつくった人物のひとりが、16世紀オスマン帝国を代表する建築家、ミマール・シナン(Mimar Sinan)である。彼が手がけたのは巨大なモスクだけではない。丘の上から都市を見下ろす壮大な宗教複合施設もあれば、市場の喧騒の上にひっそりと浮かぶような小さなモスクもある。海峡を渡る船を迎えるように建つモスクもあれば、ボスポラスの水際にそっと置かれたような建築もある。

今回訪れたのは、イスタンブールに残る4つのシナン建築-スレイマニエ・モスク(Süleymaniye Mosque)、リュステム・パシャ・モスク(Rüstem Pasha Mosque)、ミフリマーフ・スルタン・モスク(Mihrimah Sultan Mosque)そして、シェムシ・パシャ・モスク(Semsi Pasa Mosque)。規模も、施主も、立地も異なる4つの建築を巡ってみると、シナンの建築が単なる「美しいモスク」という言葉では括れないことが見えてくる。

ミマール・シナンとは

ミマール・シナンは、16世紀のオスマン帝国で活躍した建築家である。現在のトルコ中部、カイセリ周辺のキリスト教徒の家庭に生まれたとされ、のちにオスマン帝国の軍事・行政組織へ入り、軍人として各地への遠征を経験した。やがて建築の才能を認められ、1539年頃には帝国の宮廷建築家組織の長となる。その後、スレイマン1世、セリム2世、ムラト3世という三代のスルタンに仕え、1588年に亡くなるまで、およそ半世紀にわたってオスマン帝国の建築を率いた。

そして、彼の名と切り離せないのが、スレイマン1世の時代である。16世紀のオスマン帝国は、ヨーロッパ南東部から中東、北アフリカへと広がる巨大な帝国だった。政治や軍事だけでなく、陶芸、織物、写本、書、建築といった芸術文化も大きく発展した時代である。その帝国の最盛期に、建築によってその姿を与えたのがシナンだった。

シナンが手がけた建築はモスクだけではない。学校、病院、救貧施設、公衆浴場、隊商宿、橋、水道施設、墓廟など、その仕事は帝国の社会インフラにまで及ぶ。なかでも重要なのが、モスクを中心に学校や病院、食堂、浴場などを組み合わせた「キュリエ(külliye)」と呼ばれる複合施設だった。つまり彼が設計していたのは、単独の美しい建物というよりも、宗教、教育、福祉、商業を含めた「都市の一部」だったともいえる。

そしてシナンの建築を特徴づけるもうひとつの要素が、ドームと空間の関係である。巨大なドームをどう支えるか。その構造をどこまで壁から解放し、ひとつながりの空間として見せられるか。そして、そこへどのように光を取り込むか。シナンは生涯にわたって、その問いにさまざまな方法で答え続けた。

イスタンブールに建つアヤソフィアの巨大なドームは、オスマン帝国の建築家たちにとって避けて通れない存在だった。しかしシナンはそれを単純に模倣するのではなく、ドーム、半ドーム、柱、壁、窓を組み替えながら、より統一された空間へと発展させていく。その試行錯誤を追うようにシナンの建築を巡るのも、イスタンブールの面白い歩き方のひとつだ。

スレイマニエ・モスク / Süleymaniye Mosque

シナンの建築を知るうえで、まず外すことのできない場所がスレイマニエ・モスクである。建設は1550年から1557年。施主は、オスマン帝国最盛期のスルタン、スレイマン1世。シナンにとっても、帝国にとっても最大級の国家的プロジェクトだ。

スレイマニエを印象的にしているのは、建物そのものだけではない。モスクが建つのは、金角湾を見下ろすイスタンブール旧市街の丘の上。巨大な中央ドームと半ドーム、それを取り囲む小さなドーム、そして細長いミナレットが段階的に空へ伸びていく。近くで見ればひとつの巨大建築だが、遠くから見ると丘そのものが建築へ変わっていくようにも見える。

シナンの建築では、建物と都市の関係も重要な要素だ。スレイマニエは「モスクを建てた」というより、イスタンブールのシルエットそのものを設計した建築と言っても良いだろう。

内部へ入ると、巨大な中央ドームが礼拝空間を覆っている。中央ドームの前後には大きな半ドームが置かれ、その周囲をさらに小さなドームが支える。構成だけを見れば、近くに建つアヤソフィアとの類似は明らかである。しかし、そこで受ける印象はかなり異なる。

アヤソフィアには、巨大な構造体が千年以上という時間を背負ったような、重く神秘的な空気がある。一方、スレイマニエの内部には、それとは異なる明快さがある。ドームを支える構造は巧みに建築へ取り込まれ、多数の窓から光が差し込む。巨大であるにもかかわらず、空間が重く沈まない。

装飾によって圧倒するというより、空間そのものの均衡によって荘厳さをつくっている。アヤソフィアという巨大な先例を受け止めながら、それをオスマン建築として再構築する。スレイマニエは、シナンなりのアヤソフィアへのひとつの回答だったのかもしれない。

そしてモスクの周囲には、かつて学校、病院、食堂、浴場などが置かれていた。ここまで来ると、ひとつの宗教建築というより、小さな都市である。スレイマン1世の権力と帝国の繁栄を示す建築でありながら、その巨大さが社会施設として街へ還元されているところも興味深い。私はこのモスクからの景色が気に入って、イスタンブール滞在中何度か訪れた。雲が立ち込めた日は殊更神秘的だし、夕日に赤く染まる街並みも美しい。

リュステム・パシャ・モスク / Rüstem Pasha Mosque

スレイマニエから街を下り、エジプシャン・バザール周辺の雑踏へ入っていく。商店が密集する通りの中に、リュステム・パシャ・モスクはある。スレイマニエとは対照的なシナン建築だ。施主となったリュステム・パシャは、スレイマン1世の大宰相であり、皇女ミフリマーフ・スルタンの夫でもあった。モスクは彼の死後、1560年代初頭に完成した。

このモスクで面白いのは、まずその立地である。建物は商店や倉庫の上につくられた高いテラスに載っている。街路から見ると巨大なモスクが正面に現れるわけではなく、入口を探し、階段を上っていくことで、ようやく礼拝空間へ辿り着く。下には市場の喧騒。階段を上ると、その上に別の世界が現れるのだ。商業施設から得られる賃料を宗教施設の維持に充てるという、オスマン帝国のワクフ(寄進制度)の仕組みが、そのまま建築になったような構成でもある。

そして内部に入って目を奪われるのが、壁面を覆うイズニックタイルである。チューリップ、カーネーション、バラなどの植物文様。コバルトブルーやターコイズ、白、そして鮮やかな赤。

壁面だけでなく、ミフラーブや柱、入口周辺まで、さまざまな文様のタイルが展開する。シナンの建築は一般に、装飾を抑え、構造と空間そのものを際立たせる傾向がある。その意味でも、ここはかなり異質だ。

スレイマニエで感じるのが「空間の大きさ」だとすれば、リュステム・パシャでは視線が壁面へ引き寄せられる感覚が強い。巨大な空間を見上げるのではなく、目の前のタイルをひとつずつ追っていく。しかも、この濃密な装飾空間が、観光名所然とした広場ではなく、市場の上に隠されるように存在している。

イスタンブールの街を歩き、階段を上った先で突然現れるこの感じも含めて、好きなシナン建築だった。

ミフリマーフ・スルタン・モスク / Mihrimah Sultan Mosque

ヨーロッパ側からボスポラス海峡を渡り、アジア側のユスキュダルへ。フェリーを降りると、街の風景の中にミフリマーフ・スルタン・モスクが現れる。スレイマン1世とヒュッレム・スルタンの娘、ミフリマーフ・スルタンのために建てられたモスクである。彼女は先ほどのリュステム・パシャの妻でもある。建設は1540年代。シナンが宮廷建築家の長となってから比較的早い時期の作品である。

このモスクは「イスケレ・モスク」、つまり船着場のモスクとも呼ばれる。現在は道路などによって海岸線との関係が少し変わっているが、もともとはボスポラス海峡のすぐそばに建ち、船でユスキュダルへやってくる人々を迎えるような存在だった。ここでもシナンは、建物だけではなく「どこから見られるか」を設計しているように思える。

丘の上から帝都を支配するように建つスレイマニエ。それに対してミフリマーフ・スルタン・モスクは、海から街へ入ってくる人の視線を受け止める。同じモスクでも、都市に対する役割が違う。

建築は高い基壇の上に建ち、中央ドームを半ドームが支える構成をとる。外から見ると比較的量感のある建築だが、内部には窓から光が入り、重厚な外観とは少し違った明るさを感じる。シナンの後年の建築ほど構造が洗練されきっているわけではない。むしろ、巨大な中央空間をどう成立させるかという試行錯誤の途中にある建築として見ると面白い。

そして何より、このモスクは単体で見るよりも、ユスキュダルという街やボスポラス海峡との関係の中で見た方が美しい。船を降り、海を背にしてモスクを見る。あるいは再び船に乗り、少しずつ遠ざかっていくドームとミナレットを見る。建築が街の風景へ溶けていく瞬間まで含めて、ひとつの作品なのだと思う。

シェムシ・パシャ・モスク / Şemsi Pasha Mosque

今回訪れた4つの中で、もっとも小さく、そして個人的に印象深かったのがシェムシ・パシャ・モスクだった。ユスキュダルの船着場からボスポラス沿いを歩いた先にある。1580年頃に完成した、シナン晩年の作品である。スレイマニエのような巨大なモスクを設計した人物が、その生涯の終盤につくったのは、驚くほど小さな建築だった。

モスクは、文字通り海峡のすぐそばにある。中央の小さなドーム。一本のミナレット。中庭を囲むマドラサ。そして、そのすぐ向こうをボスポラスの水が流れている。建築の規模だけなら、スレイマニエとは比較にならない。しかし、小さいから簡素というわけではない。むしろ限られた敷地の中にモスク、墓廟、マドラサ、中庭を配置し、それらをボスポラスという風景と結びつけている。シナンが建築と周囲の環境との関係をどれほど意識していたのかが、よくわかる建築だ。

スレイマニエでは、巨大なドームが都市の上に浮かんでいた。ここでは、小さなドームのすぐ向こうにボスポラスがある。建築が風景を支配しない。むしろ海、空、風、船の動きといった周囲の環境に寄り添っている。晩年のシナンが、巨大建築をつくる技術を失ったわけではもちろんない。その証拠に、1570年代にはエディルネで、彼自身が傑作と考えた巨大なセリミエ・モスクを完成させている。

だからこそ、この小ささは興味深い。都市を象徴する巨大な建築もつくれば、水辺のわずかな敷地に、風景の一部になるような建築もつくる。シェムシ・パシャ・モスクを見ていると、シナンという建築家の力量は巨大なドームを架けたこと以上に、その場所に必要な建築の大きさを知っていたことにあるのではないかと思えてくる。

私が、このモスクを訪れたとき、ちょうど祈りの時間だった。その小ささゆえだろう、観光客で溢れていた他のモスクとは違い地元民らしき人しかいない。響き渡るアザーンと絨毯に隙間なく跪き、熱心に祈りを捧げる人々。日常の、生活の、そんな祈りだ。異国の旅人はおそらく私だけ。写真を撮ることも忘れ、その厳かな祈りを見ていた。

4つのシナン建築を巡って

同じ建築家の作品を続けて見ると、共通点よりも違いの方が気になってくる。

スレイマニエ・モスクは、帝国と都市を背負った巨大建築だった。
リュステム・パシャ・モスクは、市場の上に隠された、イズニックタイルの濃密な世界。
ミフリマーフ・スルタン・モスクは、ボスポラスを渡ってくる人々を迎える水辺のランドマーク。
そしてシェムシ・パシャ・モスクは、人々の生活が垣間見れる、小さな祈りの場所。

シナンの建築というと、巨大なドームや構造技術が語られることが多い。けれども実際に街を歩いて複数の作品を訪れてみると、それだけではないことに気づく。誰が建て、誰が使い、街からどのように見えるのか。シナンは、その場所に与えられた条件を読みながら、建築の答えを変えている。

モスクからモスクを歩き、時には船でボスポラスを渡る。その移動の途中に見える街まで含めて、16世紀のイスタンブールが少しずつ立ち上がってくる。500年近く前につくられた建築を訪ねながら、いつの間にか現在のイスタンブールそのものを歩いている。それが、シナン建築を巡る旅の面白さなのかもしれない。

Season – Winter, 2025


終わりに&次なる旅の破片

シナンが作ったモスク、いかがだっただろうか?シナンは多作なので、他にもたくさんの建築物がイスタンブールにはある。イスタンブールを出れば、エディルネにはシナン最大のモスク、セリミエ・モスクがある。いつかそちらにも行ってみたいと思う。

この記録があなたの旅の参考になれば嬉しい。


さて、次回はトルコ・イスタンブールのダイニング「aheste」を訪れる。ペラパレスからもほど近いモダントルコ料理のお店だ。

お届けは2026年10月31日だ。もし、この旅を気に入っていただけたなら、読者登録して、新しい旅の破片もそっと受け取っていただけると嬉しい。

では、また旅のどこかで。


新しい旅の破片を、そっとお届けします。

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