「ブータン人には名字はありません。」
ガイドのソナムさんに、「ソナムっていうのはラストネームですか? それともファミリーネームですか?」と尋ねたとき、返ってきたのがこの言葉だった。名字がないというのは、日本人にとっては少しへんな感覚だ。それって不便じゃないのだろうか。
日本なら、「たろうが結婚したんだって」「どのたろう?」「山田だよ」「ああ、山田か」という会話が成立する。でもブータンではそうはいかない。
「のっぽのたろう」や「先生のたろう」とでも呼ぶのだろうか。あるいは、名前の種類がとてもたくさんあって、名字がなくても識別できるのだろうか。
そんなことを考えているうちに、僕は別のことが気になり始めた。名字がないことで、人はどんなふうに家族を捉えるのだろう。その答えのような景色に出会ったのは、あるブータンの家族が住む民家を訪ねた日のことだった。
あたたかな歓迎を受け居間へ通されると、ホストのお母さんがバター茶を出してくれる。どこか、おばあちゃんの家へ遊びに来たような懐かしい空気が流れている。
すると居間に小さな男の子が入ってきて、おもちゃで遊び始めた。
「お子さんですか?」
そう尋ねると、お母さんは笑いながら「私の子どもじゃないのよ」と言う。
え、違うの?
男の子は、旅のお供だったイケメンドライバーのチミくんの膝の上に当然のように座り、一緒に遊び始めた。
「仲良しなんだね。よくここへ来るの?」
そう聞くと、チミくんは少し不思議そうな顔で、「今日が初めてだよ」と答えた。
え、そうなの?
僕の不思議がっている様子を見て、ソナムさんが笑いながら教えてくれた。
「あの子は近所の子どもです。こうやって近所の家を行き来するのは普通なんですよ。」
ブータンの家庭料理とブータンの地酒をごちそうになっていると、今度は男の子の「本当の」お母さんがやってきた。お風呂上がりらしい濡れた髪でラフな格好のまま、当たり前のように居間でくつろぎ始める。実は、居間でテレビを見ていたおじいさんやおばあさんも家族ではなく近所の人だった。何か特別な集まりではない。ただテレビを持っている人の家でみんなでテレビを見る。これが、この国の日常だった。
食後、お父さんが用意してくれた伝統の石焼き風呂「ドツォ」に浸かりながら、一つの仮説が頭に浮かんだ。
名字がないことは家族という意識が薄いのではない。むしろ、名字という境界がないからこそ、家族という感覚がもっと外へ広がっているのではないか。もちろん、本当にそうなのかはわからない。けれど、近所の住民が自由に出入りし、初対面の旅人まで自然に迎え入れてくれる光景を見ていると、そんなふうに思えてならなかった。
「湯加減はどうだい?」
外で温度を調整してくれているお父さんの声が聞こえて、大きな声で返事をする。
「パーフェクト!」
今日だけは僕も家族になってるのかなぁ。
